2月24日「3つの誘惑」

ルカによる福音書4章1節~13節

 先週から「レント(受難節)」の歩みが始まりました。「イースター」までの約40日間(主日を含めますと46日ほど)、イエスさまの十字架の苦難の道を覚えながら過ごしてまいります。イエスさまが十字架と共にわたくしたちの罪を背負われてその苦難の道を歩まれたが故にもたらされた救いの喜び、命の喜びの日、それが「イースター」なのです。

 わたくしたちはこのレントの歩みの中で、イースターの希望を見据えながら「苦しみの先に喜びが備えられている」ということを受け取ります。けれどももっと大切なことは、「苦しみのただ中に主がお立ち下さる」ことを受け取るということではないかと思うのです。イエスさまが苦難のただ中にお立ちくださるからこそわたくしたちは信仰において苦難を恐れたりしないで、あるいはそれを避けるのでもなくて、ありのまま受け取って、そこにもまた喜びがあることを知り、受け取ることが出来るのです。

 今朝はイエスさまが荒れ野で悪魔の誘惑をお受けになられた物語をお読みいただきました。イエスさまは伝道活動を始められる前に、“霊 ”の導きによって荒れ野で40日間を過ごされました。そこで悪魔からの誘惑をお受けになられました。この物語はマルコ福音書、マタイ福音書にも記されています。聖書を読みます時に、イエスさまがどんな伝道活動をなさったのかということをよく読みます。奇跡の物語にしろ教えにしろ、それらのほとんどは伝道活動においてなされたことです。イエスさまは、そういう活動をなさるその前に救い主として歩み始めるための大切な備えの時を過ごされました。それが今朝の物語です。

 はじめに、ここに出てまいります「40」という数字には特別な意味があります。レントの期間も40日です。旧約聖書にさかのぼりますと、ノアが箱舟で洪水をしのいだのも40日(創世7章)。モーセが十戒を受け取るためにシナイ山で過ごしたのも40日(出エジ38章)。エリヤがイスラエルの王アハブの后イゼベルから逃れて神の山ホレブに向かったのも40日(列王上19章)。他にも、イスラエルの荒れ野での放浪と戦いは40年というのがあります。新約聖書でも、復活のイエスさまが弟子たちのところにおられたのが40日(使徒1章)でした。この「40」という数字は、いうなれば「苦難・試練の期間」あるいは「新しいことが起こる準備の期間」と言うことが出来ます。それは「忍耐」や「待機」、「生みの苦しみ」を連想させますけれども、より確かな神さまのご支配のもとになることを表す数字だと言ってよいと思います。

 イエスさまのこの試練ともいうべき荒れ野での40日間と悪魔からの誘惑は、神さまのまったきご支配の中で起こった出来事なのです。だからこそ、苦難があって、忍耐を強いられても恐れや不安があってもなお主の御言葉によってそれを退けることが出来たのです。

 その誘惑の一つめは「石にパンになるように命じてみろ」というものでした。二つめは「わたしを拝むなら、この国々の一切の権力と繁栄を与えよう」というものでした。三つめは「神の子なら、ここから(神殿の上)飛び降りても、天使たちが支えるだろう」という者でした。この3つの誘惑は、神さまの御子であるイエスさまにとってはそれほど難しいものではなかったかもしれません。石をパンにしたり、すべての国の権力を手にしたり、天使の助けを得ることなど簡単なことだったかもしれません。けれどもイエスさまはそれをなさいませんでした。イエスさまはそれがお出来になられるのに、それをなさらなかったのです。そういう仕方でご自分を証することを拒まれたと言ってもよいかと思います。

 こうして見てまいりまして考えさせられるのは、悪魔の誘惑というのは、いつでも破滅的なものとしてもたらされるのではなくて、むしろ「あなたにはこんなに素晴らしい能力、賜物が与えられているのだから存分に用いたらどうだい?」という仕方でなされるのです。意地の悪い敵としてではなく、むしろとっても仲の良い友達のように、良き理解者のようにして近づいてくるのです。旧約聖書のエデンの園での蛇の誘惑を思い起こします。蛇は言いました「(その実を食べても)決して死ぬことはない。…神のようになる」。わたくしたちはほとんどの場合いとも簡単に負けてしまうでしょう。自分を誇示したくなってしまいます。

 けれども、先にも申しましたように、こういう誘惑はいつでもどこででもあるのです。そしてわたくしたちは簡単に負けてしまうのです。でもだからといって恐れることはないのです。何度負けても、何度失敗しても、そこにイエスさまが一緒に立ってくださるからです。イエスさまがそれを一緒に担ってくださいます。自分一人で担わなくともよいのです。何よりもまず、わたくしたちはそうしてイエスさまにすっかり頼り切ってしまってよいのです。イエスさまが伝道活動を始める前に、そうしてもうただ神さまに頼り切って、御言葉に従われたのは、それから先の歩みがまったく神さまの導きによるものだということを確かめるためであったのかもしれません。わたくしたちも自分の力を頼みとするのではなくて、誰よりも、何よりも強い主ご自身が勝利を得させてくださることに信頼して、確かな希望をもって信仰の道のりを歩んでまいりたいと思うのです。そうしてご一緒にレントを過ごしてまいりましょう。

 

 

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