3月3日「万軍の主」

ルカによる福音書11章14節~26節

 ルカ福音書は、イエスさまの伝道活動のはじまりについて、荒れ野での悪魔の誘惑をお受けになられた後にはじめられたことを記しております(ルカ4章14節)。けれども、その内容については具体的に記しません。ただ「イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」と記します。16節になりますと、故郷のナザレで、いつものように安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとなさったことが記されております。イエスさまは聖書を読み、その説き明しをして伝道されました。

 その時に開かれたのがイザヤ書61章でした。イエスさまはその箇所をお読みになれて「この聖書の御言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」とお語りになられました。イエスさまの御声にはどれほどの慰めと慈しみがこもっていただろうかと想像します。捕らわれ人の解放、病の人の癒し、圧迫されている人の自由が告げられたのです。しかもそれは今すでに実現したとおっしゃられたのです。

 けれども、ルカが記しますのは、そのイエスさまの言葉は受け入れられなかったという事実でした。イエスさまが受け入れられない、福音が受け入れてもらえないということは、わたくしたちも伝道において何度も経験することです。聖書にもいくつか記されております。ルカ4章のこのナザレでの出来事もそうですし、今朝お読みいただきました「ベルゼブル論争」と呼ばれるこのところもそうです。ルカ4章の出来事が、イエスさまがお語りになられた御言葉に対する拒絶だとすれば、この11章の出来事は、イエスさまの御業に対する拒絶ということが出来るかもしれません。

 考えさせられますのは、どうして聖書にはイエスさまが拒絶された物語が残されているのかということです。イエスさまの御言葉に圧倒された人たちがいて、奇跡の御業に驚いて神さまを称えた人たちが大勢いた。そうして従う人たちが日に日に増えていった。そういうことだけを記せばよいと思います。確かに、いつの世にも、一所懸命に頑張っている人にいちゃもんをつけたがる人というのはいるものです。でも福音書に限ってはそういうことなんか記さなくても、誰もがイエスさまの御言葉に感動し、心打たれ、その御業に驚いて従ったということだけ記してもよいのではないかと思うのです。そういう圧倒的なイエスさまの御姿だけでよいのではないかと思います。

 イエスさまはおっしゃいます「内輪で争えば、どんな国も荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう」と。この「内輪」の範囲というのは「国」であり「家」であると言われております。24節以下の「穢れた霊」のたとえでも「家」が単位で語られております。イエスさまがおっしゃられている内輪というのは、この世の国や家ではなくて、神さまの国のことであり、神さまにある家族の家であろうと思うのです。イエスさまは、ここでご自分にいちゃもんをつけてくる人たちを敵として排除しなければならないとか、打ち負かさなければならない存在として見ておられるのではなくて、こういう人たちに対しても、内輪で争ったら荒れ果て、倒れてしまうとおっしゃっておられるのです。つまり、イエスさまは彼らをも神の国の民として、神さまにある家族として見ておられるのです。

 そのように見ます時に、これらの物語が、ただ単にイエスさまの圧倒的な力や権威を示してみせて、敵を蹴散らして、そうして権威的な仕方でイエスさまが救い主であることを証ししようとしているのではないことがわかるだろうと思うのです。イエスさまは、むしろそういうあからさまな敵の心の内を見抜かれてなお、ご自分の内輪の者とみなして、救いに招いておられるのです。悪魔でさえも内輪もめをしたらその国は成り立たないのですから、神さまの国をつくり、神さまの家族として家を建てる者たちが内輪もめをしたら、その国も成り立たなくなってしまうのです。

 イエスさまはすべての人を含めて敵や味方としてではなく、ご自分の国の民、ご自分の家族として見ておられるのです。そうして、神さまと和解し救うために、その内輪もめのただ中に来てくださったのです。そして、人間が自分の力ではどうしても内輪もめをしてしまって、神さまがお造りになろうとされている神の国を実現することが出来ないからこそ、ご自分が十字架を背負われることによってそれを実現しようとなさったのです。

 わたくしたちは直ちに「ベルゼブル論争」をやめなければなりません。自分たちの理解の中でだけ物事を見たりするのではなくて、自分の考えや経験に頼るのではなくて、あるいはそこに起こっている出来事を神さまの御業がどうかを疑うのではなくて、すべてが神さまの恵みの賜物として注がれていることを受け取りたいのです。イエスさまが世に来てくださって、十字架を背負われたのだから、神さまのご計画なさった救いの御業は完成したのだから、だからわたくしたちも救われた者として、互いに愛し合って、助け合って、祈りあって、神さまの御心を実現するために、信仰の道のりを歩むのです。そこにこそ、本当に隣人としての愛が実現し、神さまの国が実現するのです。今ここにイエスさまがお読みくださったイザヤの預言は実現しているのです。

 

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