4月7日「救い主の栄光」

ルカによる福音書24章13節~27節

 イエスさまが復活なさった日、クレオパともう一人の弟子がエルサレムから11㎞ほど離れたエマオという村へ向かって歩いていました。それはイエスさまの十字架の死に打ちひしがれ、救いも希望も失われてしまった絶望の家路でした。その道すがら彼らはイエスさまの十字架の死と復活について話し合い論じ合っていました。

 何を話し合っていたのか気になるところです。19節以下で、それがイエスさまであるとは知らずにイエスさまにお話ししている内容から彼らが何を話し合い何を論じ合っていたのか伺い知ることが出来ます。「イエスさまは、行いにも言葉にも力ある預言者でした。わたしたちはイスラエルの解放の望みをかけていました。けれどもそのイエスさまは十字架で死んでしまいました。今日、仲間の婦人たちが墓に行くと遺体がなくなっていたそうです。そこに天使が現れて。『イエスさまは復活したのだ』と聞いたというのです。他の者も見に行きましたが、遺体がなくなっていたというのはその通りであったようです。」彼らはまだ何一つ理解出来ないでいたのです。

 彼らの話で注目するところは、イエスさまのことを「預言者」と表現していることです。イエスさまは預言者でありながら預言者以上の者でした。ペトロが言ったように、イエスさまは「救い主(メシア)」でした。けれどもそれは生きている間のことだけであったのかもしれません。死んでしまったらもう救い主ではなくて預言者なのです。もはや救い主はいなくなってしまったのです。望みは絶たれてしまったのです。死人をもよみがえらせることのお出来になる方が死んでしまったのですから、もう誰も死からよみがえることはなくなってしまったのです。イエスさまの死はすべての人の死を決定的なものにしたのです。

 彼らはそれをしたのは「祭司長たちや議員たちが十字架につけてしまった」と言っています。本当はこれこそが神さまの救いのご計画でありました。けれども何も悟ることのない彼らにとって、イエスさまの十字架と死は、ただ自分たちの望んでいたものが潰えたことに他なりませんでした。だからイエスさまの遺体がなくなっていたという報告を聞いた驚きは、天使が告げた「イエスは生きておられる」という言葉の内にではなくて、ただ亡骸がなくなってしまったという驚きでしかなかったのかもしれません。自分たちの望みをかけていたイエスさまを祭司長たちが殺し、イエスさまは死に、その亡骸もなくなってしまった。彼らにとってイエスさまの十字架の死はただひたすら損失の出来事でしかなかったのです。

 イエスさまは彼らの心を見抜いて「ああ、物分りが悪く、心が鈍く、信じられない者たち。」とおっしゃられました。それは、「二人の目は遮られていて、イエスだとはわからなかった」と16節にあるように、イエスさまをイエスさまとして見ることが出来なかったからでした。彼らはちゃんとイエスさまの十字架の出来事を見てきたはずですし、死を知っていましたし、心だって決して鈍かったわけではありません。心底悲しんでいました。だから、イエスさまの言っていることは的を得ていないようにも見えます。けれども、それは人の思いでは、イエスさまを救い主として見ることは出来ないということです。神さまの御心を知ることは出来ということなのです。神さまの御業を見ることが出来ず、イエスさまを復活の救い主として見ることの出来ない者は、主の目に物分りが悪く、心が鈍く、信じられない者に他ならないのです。

 そこでイエスさまは「メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」とおっしゃられました。イエスさまがお受けになられる栄光は、地上の王さまになって、全ての国と人とを支配して、あがめ奉られて、そうして受けるような栄光ではありませんでした。人間の思う通りの、願う通りのことをかなえて人間を中心にして受ける栄光ではありませんでした。そうではなくて、裏切る者がいて、病む者がいて、悲しむ者がいて、苦しむ者がいて、神さまを見ることの出来ない者がいて、復活を信じることが出来ない者がいて、自己中心的で、弱くて、罪にまみれた者のために、たったお一人で十字架の上で死んで、その死から復活することによって、裏切る者をも、病む者をも、苦しみ悲しむ者をも、神さまを見ることが出来ない者をも、復活を信じることが出来ない者をも、罪にまみれた者をも、すべての者を赦して、救ってそうしてご自分のものとされてお受けになられる栄光だったのです。この栄光の中にわたくしたちは置かれているのです。

 だからこそ、わたくしたちはどんなに取るに足りない者であったとしても、主の十字架の前で、慰めを受け、励ましを受け、希望を持ち、勇気を得て、赦され、救われて信仰の道のりを歩み続けることが出来るのです。もう心配することはないのです。わたくしたちは救い主のお受けになられた栄光の内に置かれているのですから!

 

 

コメントは受け付けていません。

2018年8月
« 8月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

写真 / 動画のページ (2)
礼拝案内 / 説教集 (77)

WP Cumulus Flash tag cloud by Roy Tanck requires Flash Player 9 or better.