6月2日「このお方が神です」

使徒言行録17章22節~34節

 神さまとはどんなお方か。キリスト者ならばはっきりと告白することが出来ます。信仰告白の内容において、信徒信条においてもそうです。「神さまは天地万物の創造主であり、救い主イエス・キリストの父であり、すべてをご支配なさっておられる方です。」さらに、神さまはご自身について「エゴーエイミオホーン」(わたしはあるものである)と言われるお方であり、ただご支配なさっておられるだけではなく、すべてのものの内におられるお方です。

 キリスト教以外の宗教も神について語ります。ユダヤ教は神を「ヤハウェ」(今日的には「アドナイ」)と呼び、律法を授け従うようになさった方だと言います。またイスラーム教では「アッラー」と呼び、ムハンマドにコーラン(クアルーン)を授けられた全知全能の神であると言います。日本の神道や民間信仰では「八百万の神」という考えがあって、海や山、川、雨や風などあらゆるものに神がいると言います。パウロが伝道旅行で訪れたギリシアで見た信仰も、日本の八百万の神に似たようなものだったと思います。道すがらあちらこちらで祭壇を見かけました。その中には「知られざる神に」と刻まれている祭壇もありました。日本でもあちらこちらにお地蔵さんが立っていたり祠や石碑や鳥居が立っているのを見ます。

 パウロはアテネに来てから会堂や広場で居合わせた人たちと毎日のように議論をしていました。それでアテネの人たちに連れられてアレオパゴス(アテナイの政治機関)に行って、そこで神について語りました。そのはじめに「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰にあつい方であることを、わたしは認めます。」と語りました。パウロにしてみたらアテネの人たちの信仰は間違いなく偶像崇拝でした。パウロははじめそれを憤慨していたはずです。けれども、アレオパゴスでパウロはそれを偶像崇拝だと言って否定したりはしませんでした。あるいはそこに祀られているものを否定しませんでした。それどころか、それらがあつい信仰の表れであることを認めました。これは、パウロの神さまへの絶対的な信頼によります。パウロはそっちは偽物でこっちが本物。などとは言わなかったのです。そういう対立構造の中で信仰を見ようとはしなかったのです。この世をお造りになられた神さまがたとえそれがなんであれ、この世のものと対立するはずがないのです。だからパウロは言うのです。むしろ、あなたがたが崇めている神さまについて知らせましょうと言ったのです。

 パウロは「世界とその中の万物を造られた神が、その方です。」とはっきりと言いました。神さまは人間が造ったもの、人間の手による何かしらによって神とされるお方ではなくて、ご自分がお造りになられたあらゆるものの内におられて、ご自分を証されるお方だと言ったのです。だからこそ海を見て、山を見て、空を見て神を感じるのは当たり前のことでした。偶像的なものを神として崇めることさえも理解したのです。しかし、パウロははっきりと言いました。海や山や空そものもが神ではないと。偶像もまた造られたものであり神ではないと。その先に、あるいはその上におられるお方であり、そのすべてをお造りになられたお方こそ神さまだと語りました。

 パウロはアテネの人たちの信仰に対して単なる寛容を示したのではありませんでした。アテネの人たちを受け入れつつ、そこであなたがたがまだ知らないでいる神ご自身をわたしは知っている。その神をあなたがたに知らせようとしたのです。その時「ある者はあざ笑い、ある者は『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』」と言いました。伝道の困難を思わされます。わたくしたちが真剣に、一所懸命に、神さまのことを言えば言うほど、そういう生き方を貫こうすればするほど、一方でそれをあざ笑う者がいるでしょう。あるいは、いずれまたと言って退ける者がいるでしょう。それでもわたくしたちはただ神さまに対する絶対的な信頼において証しし続けます。

 パウロのアテネでの伝道は大成功とはいえなかったかもしれません。けれども、パウロは知っていました。アテネで語ってきた言葉もまた神さまの御業であることを知っていました。造られたものが神でないのと同じように、語られた言葉そのものも神ではない。それらの内におられて働かれるお方こそ神さまなのだということを知っていました。だからそこでなされたすべてのことが神さまの御業なのだから、自分の思いや結果がどうあれ、信仰に入った者が何人かでもいるなら、それをこそ神さまはご自身の御業としてお喜びくださることをパウロは知っていました。神さまは世の状況がどうあれ、御言葉に従う者の近くにおられるのです。この世のあらゆるものを通してご自身を証される神さまは、この世のあらゆるものを通してご自身をあらわされるのです。そのことをわたくしたちは神さまの御言葉を用いて伝えるのです。ここに神さまのものとそうでないものなどないのです。すべては神さまのものであり、すべてのうちに神さまはおられるのです。 

 「このお方が神です。」どこを見ても神さまはおられます。すべてのものを通して神さまを証しすることが出来ます。そのために、まず主ご自身の御言葉を聞き続けてまいりましょう。

 

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