6月16日「主の貧しさによって豊かになる」

コリントの信徒への手紙二8章1節~15節

 第2コリント書の8章、9章は「施し」や「献げもの」など「慈善の業」について書かれているところです。もっと直接的な言葉で「献金」や「募金」ということが言われております。

 「慈善の業」というのは「カリス」という言葉で「恵み」という意味があります。もちろんこの恵みは神さまが下さる恵みのことです。ですから、慈善の業というのは神さまが下さる恵みとしてなされるという意味があります。神さまの恵みなしに慈善の業は生まれないと言えます。

 これと並んで「奉仕」という言葉があります。これは「ディアコニア」という言葉で、奴隷が主人の食事の世話をすることを意味する言葉です。ですから奉仕と言いますのは、実は人が人に仕えるのではなくて、主である神さまに仕えることを意味します。

 また「奉仕の業」という言葉もあります。「レイトゥルギア」という言葉です。これは「礼拝」や「典礼祭儀」という意味があります。礼拝は何よりも神さまがご自分を低くされて、この世に神さまの御声を響き渡らせて下さり、その御手の業をはっきりとお示しになられる場です。ですから、奉仕の業といいますのは、神さまに徹底的に仕える者が、誰よりも低くへりくだってくださった神さまの御前で、その神さまの御声を聞き御業を見る礼拝を献げることを意味するのです。

 慈善の業も奉仕の業も実は人間から出て、人間に対してなされるものではないのです。神さまが下さる恵みから慈善の業は生み出され、神さまご自身が低くへりくだられて司る礼拝において神さまに仕える者がその礼拝に預かることで奉仕の業は生み出されるのです。ですから、教会の業は、それがいかなるものであれ、すべてが神さまの恵みとして、また御業のあらわれとしてなされるのです。そこには一つとして人間のものはないのです。

世の中にはNPOなどの非営利団体がありますけれども、教会はそういう意味でNPOとはまったく違います。それは、人間の業としてではなく神さまの御業として建てられ、神さまご自身が生きて働かれているところだからです。そして、何よりも、神さまがなさるのですから「出来ない」などということはないのです。もし出来ないということがあるとするならばそれは神さまの御業ではなく人の業として考えているところがあるからなのです。

 このことが、マケドニア州にある教会の姿によって生き生きと、また豊かに証しされたのです。マケドニアの教会は厳しい試練の中にありました。その一つが極度の貧しさでした。けれども、マケドニアの教会は大いなる喜びに満ちてあふれるほどの慈善と奉仕の業を成したのです。普通に考えれば、極度の貧しさからは何も生み出され得ないと考えることの方が多いのではないでしょうか。施すよりは施しを受けたい。与えるよりは与えられたい。申し訳ないのだけれど、もう何も持っていないのです…。そう言うことの方が多いのではないでしょうか。その時、本当に神さまの恵みを信じているでしょうか。神さまの御業に期待しているでしょうか。

 教会がそうして慈善や奉仕の業を成す時、そこで働いておられるのはまったくもって神さまご自身なのです。だからこそ、どんなに貧しくても、どんなに足りなくても、そこにはあふれるばかりの神さまの恵みが注がれ喜びが生み出されるのです。わたくしたちは貧しさからは何もあふれ出てこないと思ってしまいます。けれども、神さまの神殿であり、キリストの体である教会はその貧しさからあふれるほどの恵みが溢れ出てくるのです。マケドニアの教会はそうして、神さまの恵みに預かる喜びを知っていたからこそ「しきりに願い出たのでした。」

 おそらく、そこで献げられた献金や募金はそれほど多くはなかったでしょう。けれども、大切なことはそこで献げられた物の量、多さ、質ではないのです。ただひたすら神さまの恵みを信じてしきりに願い出るほどの信仰を持ったあなた自身が大切なのです。だからこそここでパウロが喜んでいるのは、マケドニアの教会の人たちが自分自身をまったく神さまにお献げしたということなのです。そうして神さまに自分自身を献げる、言うなれば「献身」こそが教会を支え、喜びをもたらすものになったことがここに証しされているのです。

「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神はあなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ち溢れるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ち溢れさせることがお出来になります。」(2コリ9章6節)

 わたくしたちは命までも献げ尽くすほどの信仰を持てないかもしれません。そういう弱さを持っています。けれども、神さまはわたくしたちのことをご存知です。だからこそ、ご自分の大切なひとり子であるイエスさまを世にお遣わしになられて、その命を献げ尽くされたのです。誰よりも、罪深いと嘆くこのわたしよりもなお低くへりくだられ貧しくなられたのです。しかしそこに恵みが示されました。わたくしたちは、わたくしたちの豊かさによってではなく、ただ主の貧しさによってのみ豊かになされるのです。恵みの主を信じて信仰の道のりを歩んでまいりましょう。

 

 

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