7月7日「主の御言葉の力」

使徒言行録19章11節~20節

 20節に「このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」とあります。パウロがエフェソなどアジア州でなした伝道活動の成果が目覚ましいものであったことについて語られています。大勢の人たちが信仰に生きるようになりました。

 パウロはどんな伝道をしたのでしょうか。そのことについて、神さまは、「パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。」と記されております。どんな奇跡かと言いますと、「パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪霊どもも出ていくほどであった。」と記されております。

 わたくしもよく頭にタオルを巻いているのですけれども、素直に思います。「神さま、僕にもそういう奇跡が出来るようにしてください。頭に巻いたこのタオルを持って行ったら病が癒され、悪霊が追い出されるような、そんな奇跡が出来るようにしてください。」と。

 パウロのそのような業を見て同じように思った人たちがいました。ユダヤ人祭司長スケワの7人の息子たちです。彼らもまた試みにイエスさまのお名前を唱えて悪霊を追い出そうとしていました。何とかして奇跡を起こせれば自分たちも敬われ、多くの人が教えに従うと考えたからであろうと思います。

 しかし、彼らの目論見は思惑通りに行きませんでした。それどころか、悪霊は彼らに言い返しました「イエスのことは知っている。パウロのことも知っている。だが、お前たちは何者だ。」と。悪霊は彼らのことをちっとも怖がりませんでした。かえって彼らをひどい目にあわせたのでした。どうしてスケワの息子たちは奇跡を起こすことが出来なかったのでしょうか。わたくしたちの伝道が思うように進まない問題もここにあるような気がするのです。

 神さまに奇跡を求めるということは大切な信仰の証しです。けれども、試みにイエスさまのお名前を語ることは赦されないことなのです。ですから、伝道は、そういう意味で言えば、奇跡が起こったらいいなぁとか、奇跡が起こらなければ進まないなどというところでは前進しないのです。試みになされる伝道は前進しないのです。

 伝道において大切なことは御言葉の力を心底信じる信仰です。伝道の源泉はわたくしたちの力ではなく、神さまの御言葉の力にあるのです。パウロの伝道がなぜ前進したのかと言えば、それはひとえにパウロが自分の何かによってではなく、ひたすら御言葉の力に委ねたからでした。そして、御言葉こそが力を持って伝道を前進させることを信じ切っていたからでした。パウロの伝道に奇跡は必要でしたけれども、その奇跡は神さまの御言葉の力としてなされるものであって、けっして、自分の手ぬぐいがおこすものではなかったのです。

 伝道の源泉である御言葉は、今ここで語られています。この礼拝において神さまの御声を聞くことによって、わたくしたちは伝道の力を得るのです。しかも、御言葉を聞いてわたくしたちが何かを得るのではなくて、御言葉を聞いて、もうまったく御言葉にこそ力があることを知ってそこから始まるのです。それが、わたくしたちの礼拝なのです。

 伝道の前進のために何でもしましょう。自分たちであれやこれやの判断をせずに、試みに伝道をするのではなくて、確かな信仰によって、神さまを信じ切って、そこに必ず恵みが注がれることを確信して、希望を持ってなしてまいりましょう。主が御言葉を持って、わたくしたちの祈りを聞き届けてくださって、奇跡をなさることを信じましょう。わたくしたちが、主の御言葉の力を信じ切って出かけて行く先で、神さまはご自身の御手の業を働かれ奇跡を起こしてくださるのです。

 

 

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