7月21日「今や恵みの時、今こそ救いの日」

コリントの信徒への手紙二5章14節~6章2節

 パウロが第二コリント書を書いたのは紀元55年と言われております。二千年あまり「今や、恵みの時、今こそ救いの日」という主の御言葉は語り続けられ、聞き続けられてきました。平和な時代、豊かな時代であればそのまま受け入れられたでしょうけれども、迫害の激しい時代、戦争などで混乱した時代、天変地異が起こった時にはどのように聞かれてきたのだろうかと思うのです。

 人間の歴史を振り返りますと、いつでも、どこかで戦争が起こり、天変地異が起こり、「今や、恵みの時、今こそ救いの日」という御言葉がそのままに受け入れられてきたようには思えないところがあります。それでも教会は、キリスト者たちはこの御言葉を語り続け、聞き続け、信じて歩んできました。

 現代の日本ではどうでしょうか。社会においては、少子化、高齢化、経済の停滞、人口の都市への集中と地方の過疎、あまり良い時代とは言えないところがあります。教会においては、信徒の減少、進まない伝道、献身者や牧師が足りない、こんな声があちこちから聞こえます。そうして、今こそ恵みをください。今こそ救ってくださいという声が聞こえてきそうです。

 あるいは個人としてはどうでしょうか。最近、辛いことや苦しいこと、悲しいことがあった方がおられるでしょう。そういう中でこの御言葉はどのように響くでしょうか。今まさに恵みの時である、救いの時であるというのではなく、それをこそ願ったのではないでしょうか。

 では、この御言葉は、今の時代においては、何とか解釈して聞かれなければ届かないものなのでしょうか。今は恵みの時ではなく、一層恵みを求める時、今は救いの時ではなく、一層救いを求める時なのでしょうか。

 神さまは、いつの時代でも、どんな状況でも、同じように、「今がその時」なのだとお語りになられてきました。もしわたくしたちが、今の時代を思い、そこで起こったことや、置かれた状況の中でだけこの御言葉を聞くとするなら、今はまだその時ではないから、早くその時になるようにと祈らざるを得ないかもしれません。けれども、そういうことに左右されないで、揺るがせられないで、ただひたすら神さまの恵みを信じて、救いを信じて、信仰に立って聞いたならどうでしょうか。今がまさにその時であることを見ることが出来るはずです。

 わたくしたちは信仰に立って、いつでもどんな時でも、「今がその時」なのだと告白します。「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。」わたくしたちはイエスさまの愛によって「駆り立て」られているというのです。後ろから支えられて、前へと前進させられているのです。それは、滅びへ向かっているのではありません。どんどん推し進められて、恵みへと救いへと向かっているのです。しかも、それは遠い遠いところにあるのではなくて、今という時にそれが与えられているのです。

 今日新しい朝を迎えました。このことがすでに「今や恵みの時」であることを証ししています。主の恵みなしに新しい朝を迎えることは出来ないのです。わたくしたち自身にその保障はないのです。主は明日をも備えてくださるでしょう。それは救いなしには得られないものなのです。ですから昨日の明日である今日を迎えられたのは紛れもなく救いが成し遂げられたからなのです。

 パウロはこのことを神さまとの「和解」だと語ります。これは神さまの方から成し遂げてくださったものです。しかも、こちら側には何の根拠もないのに、ただひたすら神さまの愛と恵みにおいて成し遂げられたものなのです。

 もし、今日何かあったとしても、明日何かあったとしても、わたくしたちは命の主であり、救いの主である神さまと和解しているのですから、何も恐れることはないのです。このお方はすべてをお造りになられ、すべてをご支配なさっておられるお方だからです。今この時、わたくしたちはまったき恵みの内に置かれています。まったく救われているのです。神さまの愛の中で、その恵みを受け取り、救われた者として生きる幸いを味わうことが出来るのです。

 

 

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