9月8日「憐れみは裁きに打ち勝つ」

ヤコブの手紙2章1節~13節

 人は「自」と「他」を比較したり相対化して見たりします。そして優れた点、劣った点を見つけ出します。同じように「善」と「悪」や「聖」と「俗」という風に物事を区別したりもいたします。今朝の御言葉にもそういう人間の姿、わたくしたちの姿が語られています。

 「金の指輪をはめた立派な身なりの人」と「汚らしい服装の貧しい人」が教会に来たとしたら…という例が挙げられております。面白いのは、「金持ち」と「貧しい人」、あるいは「立派な身なりの人」と「汚らしい服装の人」というのではなくて、「金の指輪をしている人」は「立派な身なりの人」と結び付けられ、「汚らしい服装の人」は「貧しい人」と結び付けられていることです。

 人はどうしても、そうして身なりや持ち物、能力や経験や知識、あるいは歳をとっているとか若いとかということで比較、相対化して見てしまうのです。けれども、神さまはそういう風にわたくしたちを見てはおられません。神さまはすべての人を平等に見ておられます。「分け隔て」なさらない神さまがわたくしたちをお招きくださったにもかかわらず、わたくしたちの方で「分け隔て」をしてしまうのです。

 これは何も他者のことを言っているわけではないように思います。誰しもその内に「金の指輪をした立派な人」と「汚らしい服装をした貧しい人」を持っております。強い部分、誇れる部分が前者であり、弱い部分、隠しておきたい部分が後者です。誰も後者の部分を人に知られたくないものです。隅っこに押しやっておきたいものです。もし知られたとしても知らんぷりしておいて欲しいと願っているところがあります。

 けれども、ここにあるように、自分の弱い部分を隠しておいても、あるいは他者のそういう部分を辱めてもそれが何かをもたらすものではないことを知っているはずです。自分の優れた部分、強い部分を前面に出したところで、それはただただ自分を誇る以上のものではなくなります。他の人から見たらそういうのは鼻持ちならないと映っているかもしれません。

 神さまは分け隔てなさないお方であるばかりか、「神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、ご自分を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさった」のです。だから、立派なキリスト者になって神さまに喜ばれたいから、そういう者であろうと取り繕っても、実は神さまは弱い部分をこそ用いてくださるのです。神さまはわたくしたちのすべてご存じなのです。神さまは、微塵も分け隔てなくわたくしたちを愛し、慈しみ、お赦しくださっておられます。愛すること、赦すことが出来ないでいるのは、神さまではなくて、わたくしたち自身なのです。「隣人を自分を愛するように愛する」という律法は、先ずなによりも自分自身を愛して、赦すことなくしては全うできないように思います。弱い部分、欠けた部分があっていいのです。神さまが愛してくださって、お赦しくださっておられるのですから、わたくしたちも自分自身を愛して、赦してあげましょう。そこからこそ、本当に隣人を愛し、赦すことが出来るようになるのです。

 自分を赦すことが出来たら、愛することが出来たら、わたくしたちはどんなにか自由になるでしょうか。律法を破ってしまうということは、ただ神さまに対して、あるいは隣人に対してルールを破るということだけで起こることではないのです。自分を裁くところで起こるのです。自分を裁く者は他者をも裁くのです。「自」と「他」を分け隔てする者は、隣人を自分のように愛することは出来ないのです。自分を裁かなくてもいいのです。愛していいのです。赦していいのです。そうして自由を得ることが出来たならば、その自由は自分勝手なことに用いられることなく、むしろ神さまの御言葉に従って、喜びと感謝に生きる道筋へとつながっていくことでしょう。

 神さまの愛と赦しを自分で自分を裁くことによって無駄にしてはなりません。「憐れみは裁きに打ち勝つのです」。絶対的な裁きの力をお持ちである神さまご自身こそが、御子イエス・キリストの十字架の憐れみと愛によって、ご自身の裁きに打ち勝たれたのですから、わたくしたちも、その愛と慈しみの内に生きて、裁きに打ち勝った者として信仰の道を歩んでまいりましょう。自分を愛し、赦し、隣人を愛し、赦して御心をあらわしましょう。そこには何よりも豊かな恵みと交わりがあるのです。

 

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