10月6日「権威の所在」

ローマの信徒への手紙13章1節~10節

 「権威」という言葉を辞書で調べますと、①「他者を従わせる威力」、②「ある分野において優れたものとして信頼されること」という意味があることがわかります。

 「権威」は、力を持ったものが支配的に他者を従わせる力として働くのではなくて、他者に対して自発的に従うように促す力であり、それは権威を持った者が自ら権威を権威たらしめるのではなく、第三者的な視点からそれが権威として認められてはじめて権威たり得るものなのです。独りよがりな経験や知恵や肩書、そういうものに付加されるものではなくて、その存在そのものが権威を帯びるのだと言ってもよいかもしれません。ですので、権威の主体は、本質的には権威を持っている者の側にあるのではなくて、権威を与えた側にこそあると言えます。日本国憲法にある「国民主権」に似ているでしょうか。

 神さまと人間との関係においては、大きな違いがあると言えます。神さまは人間が神さまを神さまと認めなければ神さまたり得ないお方ではありません。神さまの権威は人間が認めなければならないようなものではないのです。人間の側に信仰があろうとなかろうと、神さまは厳然として神であられるお方なのです。けれども、神さまは、ご自分の権威をご自分のものとしておくだけではなくて、御子であるキリストにお与えになられ、御子キリストの体なる教会にお与えになられました。キリスト者は、この御子キリストの体なる教会の枝であるゆえに神さまの権威を持っているのです。

 今朝お読みいただきましたところで「支配者」と「権威者」という言葉が使い分けられていることがわかります。これは「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」という御言葉が前提となっています。つまり、神さまの権威を知り、また、神さまの権威に従う者こそが、本当の「権威者」たり得るのであって、神さまの権威に従わない者は、たとえどんな力を持っていたとしても「支配者」でしかないということです。

 このことは他の言葉でもって対比的に語られます。それは「従う」とか「仕える」という言葉と「逆らう」とか「背く」という言葉です。これらの言葉の主語は「神さま」です。つまり、権威者に従い仕える者は、神さまに従い仕えるのであり、権威者に逆らい背く者は、神さまに逆らい背くのだということです。

 神さまはこの世にキリストの体なる教会をお建てになられて、ご自分の権威をお与えになられました。教会は神さまの権威を持っています。しかし、間違ってはならないのは、人間に与えられているのではないということです。教会に集うキリスト者たちは神さまの権威を持っていますけれども、しかし、人間の力としてその権威が与えられているのではないのです。どこまでも、神さまの権威に従う生き方において、神さまの権威が発揮されるように与えられているのです。

 神さまは何のために教会にご自分の権威をお与えになられたのでしょうか。それは、一人でも多くの人をご自分のものとなさるためでした。神さまは、ご自分の権威に逆らい背く人間をもう一度ご自分のものとなさるために、御子イエス・キリストを十字架におかけになられ陰府へ向かわせ、復活によってそこから引き上げられたのです。わたしたちは、この神さまの御心、救いのご計画に従うのです。この御心を果たすために、神さまのご計画の器として用いられるために、神さまの権威を受けているのです。

 わたくしたちの内には神さまの権威が与えられております。だから、もう信仰の弱さ、欠け、足りなさを嘆くのはやめましょう。むしろ、雄々しく信仰のみちのりを歩んでまいりましょう。神さまの権威に従って恐れることなく前進しましょう。わたくしたちが互いに仕え合い愛に生きる姿が、罪を赦され清められた者として生きる姿が、喜びと感謝に満たされ恵みの内に生きる姿が、この世に神さまの権威を証しするのです。

 

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