10月13日「神の恵みの善い管理者」

ペトロの手紙一4章7節~11節

 「万物の終わりが近づいています。」大変ショッキングな言葉が語られております。一体何のことを語っているのでしょうか。新興宗教などには、万物の終わりというのは、人間の文明社会の崩壊、滅亡を意味しているのだというものがあります。このペトロの手紙が記された当時も同じように受け取られていたところがありました。テサロニケの信徒への手紙に、パウロが「怠惰な者たちに対する戒め」(2テサ3章)を語っておりますけれども、、教会の一部に「もうこの世が終わるなら真面目に働くなんてバカらしい。」と言って働きもしない者たちがいたことがわかります。

 本当にそういう時はやってくるかもしれません。物体(天体)である地球にも寿命があるそうですから、それは途方もない先のことかもしれませんけれども、起こり得ることでしょう。けれども、聖書が語っている「万物の終わり」の時というのは、そういう意味での物質の限界のことを言っているわけではありません。旧約聖書にある「ノアの洪水」や「ソドムとゴモラの滅亡」のような一時の裁きのことでもないでしょう。「万物の終わり」というのは、今は神さまの御手から離れているように見えるこの世界が、人間が好き勝手に支配しているように見えるこの世界が、もう一度、天地創造の時のように、人と神さまが共に生きる楽園となるための回復の時であり、神さまの御国の到来のことを言っているのです。

 御国の到来が実現する時、わたくしたちがそこでふさわしくあるために「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈り、心を込めて愛し合い、不平を言わないでもてなし合いなさい。」と勧められているのです。しかし、これは、わたくしたちが言われた通りにいかにしてあり続けるかが問題なのかといえばそうではないように思います。思慮深くあること、身を慎んでいること、よく祈り、愛し合うこと、不平を言わないことは大切なことです。けれども、もっと大切なのは「あなたがたはそれぞれ賜物を授かっているのですから、神さまのさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(10節)ということです。

 「管理」といいますと、イエスさまが天の国のたとえとしてお語りになられた「タラントンのたとえ」を思い起こします。主人が3人の僕にそれぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けて旅に出かけました。しばらくして主人が帰ってきてそれを清算すると、5タラントン、2タラントンを預かった僕はそれぞれ他に5タラントン、2タラントン儲けて主人に報告しました。けれども、1タラントン預かった僕はそれを地中に隠していました。そうして預かった1タラントンをそのまま返したのです。すると主人は、儲けた僕をそれぞれ褒めて喜んで、儲けたタラントンを渡しました。けれども、隠しておいた僕からは預けた1タラントンも奪い取ってしまい、叱りつけたのでした。

 この物語には損失は語られません。わたくしたちの経験で考えればもちろん損失も考えられるでしょう。けれども、神さまの恵みの賜物は損失することはないのです。「一粒の種は地に落ちて死ぬことによって多くの実りを実らせる」のです。万物の終わりの時というのは、損失の時ではありません。大いなる恵みの収穫の時です。わたくしたちに与えられた恵みの賜物は神さまのために用いられる時、損失することはないのです。もし損失するとするならば、あるいは実りをもたらさないとしたら、それは人間の業のためであり、人間の考えだからなのです。

 神さまはわたくしたちに大いなる恵みの賜物をくださいました。わたくしたちはその恵みを隠しておいたりはしません。損失なんか恐れる必要はないのです。神さまの恵みはどんどん用いられるのです。神さまがそこに大いなる恵みの実りを実らせてくださいます。恵みの主に信頼して信仰の道のりを歩む歩みの先にある「万物の終わり」の時は、崩壊や滅亡の時としてではなくて、信仰の実りの収穫を主がなさる時として訪れるのです。

 

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