1月15日「イエスの宣教活動」

教会ではよく「宣教」とか「伝道」という言葉を耳にします。キリスト者ではない人たちは、「布教」と表現することがあります。
「宣教」というのは、国や地域に対して福音を伝えること。「伝道」とは個人ないしはある集団に対して福音を伝えることと説明されているものがあります。また「宣教」とは、教会全体の業であり、「伝道」とはキリスト者個人の業という風に説明しているものもありました。いずれにしても、神さまの福音を伝えること、イエスさまが救い主であることを人に伝えることに変わりはありません。
さて、イエスさまの伝道活動(わたくしは普段「宣教」という言葉をあまり使いません。説教題はテキストから「宣教」にしましたけれども、以下では「伝道」という語にします)は、イエスさまの伝道活動の三本柱は「教えを語ること」、「悪霊を追い出すこと」、「病気の人を癒すこと」でした。この三本柱は「祈り」という土台の上でこそ立ち続けられるものでした。イエスさまは召してくださった神さまに「祈り」をして伝道活動の土台としたのです。
宣教にしろ伝道にしろ、教会の業にしろキリスト者個人の業にしろ、これらは単に能力の有無によりません。「祈り」を土台にして成されるのです。
イエスさまは「アッバ」と言って祈られました。これは親しみを込めて父親に「おとうさん」と呼びかける言葉です。イエスさまは神さまに「おとうさん」と呼びかけて祈られました。神さまがとっても近くにおられたのです。そういう祈りでしたから、祈りの内容もまた親しみを込めて、身近な存在としてのおとうさんに話しかけるようなものであっただろうと思うのです。そうして、教えを聞く人、悪霊に取りつかれている人、病気で苦しんでいる人たちのために自分が用いられるようにと祈られたのだろうと思うのです。
時々、やけに長々と、難しい言葉で、あれやこれや盛りだくさんの祈りを聞くことがあります。形式的な祈り、格調高い祈りも良いのかもしれませんけれども、それはイエスさまの祈りとはかけ離れているのではないかと思わされることがあります。もっと神さまを近くに感じながら、親しみを込めて「おとうさん」と呼びかけて祈る祈り、もっと無邪気で、素直な祈りが今日における教会の伝道活動には必要ではないかと思うこともあります。
祈りが変われば、信仰の有様が変わります。祈りが変われば、成される業が変わります。祈りが変われば伝道の有り方、その成果もまた変わるように思うのです。なぜなら祈りは教会の土台であり、キリスト者の土台だからです。

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