7月2日 「心が鈍くなる」

マルコ6章45節~56節

 聖書にはイエスさまがなさった奇跡の物語がたくさんあります。先週は「五千人の人たちを満腹にした」奇跡の物語をお読みいたしました。5つのパンと2匹の魚で五千人以上の人を満腹にしたこの出来事で大切なことは、イエスさまが食べ物にまさる真なる命のパンなるお方であるということと、天の収穫の喜びはとてつもなく大きいのだということでした。そして、わたくしたちもまた命をパンを受け取り、一人一人が天の喜びであることを示した物語でした。

 弟子たちはこれほどの奇跡を目の当たりにしながら、その意味を理解出来ていませんでした。それで湖の上でまた不思議な出来事が起こった時にそれを理解することが出来ませんでした。それを心が鈍くなっていたからだと今日の箇所は記しているのです。

 弟子たちは五千人の給食の奇跡の時、伝道から帰って来たばかりでした。イエスさまはその弟子たちに休息を与えようとしておられたのですけれども群衆によって休むことは出来ませんでした。それで「強いて」舟で湖を渡らせました。「強いて」というのですから、一刻も早く休息を与えようと考えておられたか、あるいは、その時は湖を渡れるような状況ではなかったのに無理やり行かせたということになります。もう夜になっていましたし、風も強かったわけですから後者であろうと思います。案の定、弟子たちは湖の真ん中で逆風のために前に進めなくなっていました。そこに、イエスさまが現れたのです。しかも、湖の上を歩いて!弟子たちは「幽霊だ」と言って恐れました。当然です。

少し前に、湖の上で嵐にあって舟が転覆しそうになったことがありました。この時はイエスさまが一緒でした。けれども、今回は違いました。イエスさまは一緒にいませんでした。弟子たちは逆風の中一晩中何を思って舟をこぎ続けたのでしょうか。自分の身を案じていたであろうと思います。不安でいっぱいだったと思います。わたくしは逆風に逆らわないで引き戻して、朝になって天候が回復していたら改めて渡ればよいのにと思ったりします。けれども、弟子たちはそうはしませんでした。イエスさまが強いてでも舟で出させたのだから不安でも前進しようとしたのかもしれません。

 けれども、弟子たちの心は鈍くなっていました。一晩中進まない舟をこぎ続けてもうへとへとでしたし、不安でしたし、そんな時、心が鈍くなってしまっても仕方がないとも思えます。わたくしたちだって、調子が良い時は神さまを信じて、平安で、希望をもって進んで行けますけれども、調子が悪い時、物事が上手くいかない時、疲れ果ててしまっている時、心が鈍くなっている時があります。神さまのことを信じていないわけではないけれども、神さまがどんなお方であるかということを忘れてしまうということです。神さまがこれまでしてくださったことを忘れてしまうということです。

 イエスさまは湖の上で進めなくなっていた弟子たちの所に湖の上を歩いて来られました。神さま、イエスさまというお方はそういうお方なのです。わたくしたちが思いもよらない仕方で近づいて来ることが出来るのです。弟子たちのようにそのことを忘れているとイエスさまが一緒にいてくださること、イエスさまが来てくださることを忘れてしまって、まるで幽霊が来たかのように驚き、恐れるのです。心が鈍くなっている時、神さまが見えなくなるのです。神さまがどのようなお方であるかを忘れてしまうのです。

 イエスさまは決してわたくしたちを見捨てたり、置いてけぼりにはしません。いつも一緒にいてくださいます。どんな時も、どんなところへも来てくださいます。そして、弟子たちがそれがイエスさまだと分かった時心の底から安堵したように、わたくしたちの心の平安はいつもイエスさまと共にあるのです。この方こそわたくしたちの命なるお方であり、救い主なるお方だからです。

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