11月6日 『永眠者記念礼拝』

ローマの信徒への手紙4章13節~25節

「神さまが約束なさったこと」

わたくしたちが求める奇跡というのは、特別で、不思議で、とんでもない出来事であったりします。まさに神さまにしか出来ないこと!と思えるようなそういうものも奇跡と言えるでしょう。けれども、奇跡というのはもっと身近なところにあって、日常的に起こっているのです。もっと些細なことの中に起っているのです。ただ、わたくしたちはそれを見ることが出来ないでいるか、あるいは見ないでいるだけなのです。それは、神さまを見ることが出来ないとか、神さまを見ないでいることと同じことなのです。

今日は、何気なく始まった一日ではありません。神さまによってはじめられた一日です。少なくとも、こうしてご一緒に礼拝を献げているということがそれをはっきりとあらわしているのです。今、わたくしたちは神さまの御業の内にいるのです。愛の中に入れられているのです。喜びの中に入れられているのです。だから、この神さまの御業を知ることが出来れば、愛を受け取ることが出来れば、喜ぶことが出来れば、わたくしたちは奇跡の中に生きていることをはっきりと知ることが出来るでしょう。

これは、神さまの約束に基づいているのです。しかも神さまからの一方的な約束です。「指切りげんまん針千本飲ます(される)」約束ではありません。神さまからしたら、人間と約束するなんて一文の得にもならない不公平な約束かもしれません。けれども、それほどまでに神さまはわたくしたちを愛しておられるのです。わたくしたちは、ただこの神さまを信じる信仰に生きるだけで神さまがくださるあらゆる恵みを受け取ることが出来るのです。アブラハムに起った信じられないような出来事も、そういう神さまの約束と、それを信じた信仰によって与えられたものでした。

このアブラハムになされた約束は今なお教会の上に生き生きと守られているのです。いや、それどころか、神さまは御子イエス・キリストを通して、もっと大きく、深い恵みをくださいました。それが、今日与えられた、この新しい命であり、一日なのです。この命は、罪のないまっさらな命であり、この一日は、愛と恵みに満ち溢れた一日なのです。ここには奇跡が起こっているのです。

わたくしたちの先達が生きた信仰の歩みは、このようにして、愛と恵みに満ち溢れる主と共に歩む歩みであり、主の奇跡によって、日々新たにされ、愛と恵みに満たされた日々でした。わたくしたちも、先達の歩まれた喜びに満ち溢れる信仰の道のりを、主と共に歩んでまいりたいと思うのです。

 

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